![]() |
沿岸掃除隊 |
学びの日々福岡で「亀王国」というサイトを主催しているHNかめおさんは、とても愉快な釣り人間。根っからのバサーです。最近は海釣りも始めたと云うことで、私のサイトに遊びに来ていただいたのが、知り合うきっかけになりました。ところでこの「亀王国」には、水辺の環境を取り上げたとてもいいエッセイがあります。テーマは、外来淡水魚バスに在来種が駆逐されるつつある原因になっている、釣り人の放流問題です。当道場でも、ぜひ皆さんに紹介したいとお願いしたところ、快諾していただきました。軽妙な語り口ながらも、環境保全という葛藤を抱える我々釣り人にとっては、共感できる内容だと思います。以下ほぼ原文のまま。
「学びの日々」はじめに… 出会い その日はとても風が強かった。ビルの間を台風並みの風が走り抜けていく。 「お待たせ〜」 私と師は、たっつぁんを先頭にして、挨拶もそこそこにホテルの中へと入っていく。コーヒーラウンジに腰を落ち着け、ようやく恒例の名刺交換。始めから及び腰で、のっけから雰囲気に飲まれてしまった私は「単なる趣味の人です」と情けない自己紹介をカマしつつ、名刺を差し出した。職業と本日のテーマの関連性は一切ない(自爆) それでも親切に「どの様なお仕事になるのですか?」などと、ビジネスマンである私も真っ青の初対面に相応しい話題を振って頂いたりしたので、それ以後恐縮しまくってしまったのだった。アイスコーヒーがそれぞれの前に置かれたところで、たっつぁんがボチボチと本題に切り込んでいく。こうしてこの記念すべき会談が始まったのであった。 「なんだ、この人もロビーに入れなかったんだ」自分と同じだとほっとすると同時に、ちょっと侮ったりしちゃったのですが、会談が始まるとまたまた恐縮しまくるのでありました。 師は語る。ボクは黙る。私はバス釣りをする人でありますが、常々「今のこのバス(ギル)の生息状況はまずいだろう」と思っていた。密放流とは言いたくないが、筋を通さずに放流されている所ばかりであろうと思っている。また「バス釣りという行為は密放流という犯罪行為に荷担しているとも言える。」という考え方にも一理あると受け止めてきた。 一方、生態系の保全・生物多様性の維持という観点から見た場合、バス(ギル)は日本内水面の生態系にとっては大変な脅威である事は、その食性と強靭な生命力から間違いない事であろうとも考えていた。そういう意味では「バス(ギル)は害魚である」と考えている。 師との会談が進行するにつれ、この様な私の重苦しい思いが、徐々に軽くなってくるように感じた。何か違うんじゃないかと思いながらモヤモヤしていたものが、なんとなくスッキリとして来たような気がした。しかし、別の意味で更に重く、高い壁を見上げる事になるのだが、これは後にならないと気づかない。師との会談の中で、私が特に印象深く感じたものを中心にして、ここにご披露したい。 師は語る。ボクは唸る。いろんな場面で反バス対親バスの構図が見られ、ともすると感情に火が点き話にすらならなくなっているところを頻繁に目にする。そこのテーマが環境や生態系問題についてだったりすると、とても悲しい思いに囚われる。問題意識を同じくする者のはずなのに。立場や考え方の違いこそあれ、敵ではないはずなのに。 師は「過去の過ちは過ちとして認めるべき。しかし、時代背景や様々な要因を考慮すると『責任を取らせる』『罪を償わせる』事については必ずしも正しい事だとは考えない。「今」から過去を振り返ると「過ち」「罪」だと言えるが、その当時この様な判断ができたのかを考えると必ずしもそうではなかろう」とおっしゃる。また「環境問題、生物種多様性などが社会的に認知され、大きな動きとなってきたのはごく最近の事であり、今の価値観で過去を裁こうとする事に無理な面もある」「しかし、だからといって過去の過ちを放置していいわけではない。反省すべきは反省するところから始めないと、何も始まらない」つまり、過去の反省をキチンとして問題点をハッキリさせないと、現状を適切に把握・評価はできないし、現状の正しい認識がないのに、将来の方向性を検討するなど、それこそできっこない…と言う事だ。 アイスコーヒーを啜りながら語る師の言葉に、私は唸る。ううむ、深い。確かにそうだ。今までそんな事考えた事もなかった。バス釣りをなんとか続けたいとの思いが勝ちすぎると「言い逃れよう」とする姿勢になってしまうが、「言い逃れる」事はできないし、既にその必要すらなかったようである。私は素直に感動していた。そして師を畏敬の念をもって見つめていた。 「誰が違法放流をしたんだ!責任取れ!」 師は遥かに先を行っていた。しかし後からついて行く私にも丁寧に解説をくれる。その豊富な知識とフィールドワークに裏打ちされた話には、有無を言わせぬ説得力があった。 師は語る。僕は参る。 師はおっしゃる。 そう言う師の目は少し悲しげではあったものの、ひどく憤りをも含んだものであった。私は、師のバス・ギルさえ含む全ての生物に対する愛情を垣間見たような気がした。そして、全てを支配してしまいながら無知・無力な人間に対する叱咤の思いを感じたというと言い過ぎだろうか? 私もたっつぁんもバス釣り人だが、こんな僕らをどう思っているのだろうか?或いは「バス釣り」をどう考えているのだろうか? 全体のバサー人口がどうなるかは置いておいても、これからもバス釣りを始める人はでてくるに違いない。私は師の話を聞きながら思う。彼らを責める事はできない。『楽しさの裏に問題になる部分がある』のを知らない事が既に問題なのだ。楽しさだけでバス釣りに誘われているだけの彼らは、昨日の私だ。願わくば、始める前にこの問題の存在に気づかせてやりたい。 師は語る。ボクは閃く。 「バス擁護論と言われる類の論理は全て既に破綻している」と師はきっぱりおっしゃった。 私はズバリと聞いてみた。 それから師はルールに関して語ってくれた。これこそが今日のポイントとなる事柄であろう。これからの話は反バス・親バスとか、なんとかバスを認めてもらうための方便はないかとか、目先のことに囚われがちな私にとって、その近視眼に感度良好の眼鏡を掛けられたようであった。釣り人、水辺に関わる人、地域、行政…バス(ギル)問題は、日本人あげて関わりのある事なのだろう。ちっぽけなこの事柄が、実はもっと大きな問題解決への糸口となる可能性すらあるのかもしれない。 師も悩む。ボクは恐れる。 日本の内水面は今までほとんど自由であった。バスが居着くような平野部の止水域や河川の下流域では、誰が何を釣っても良かった。漁師じゃなくても自分で食べる魚を捕る程度は許されていた。「無秩序」と言っていいくらいの自由であった。水産行政においても、様々な魚種が放流され、また移植されてきた。現在の価値基準から見ると、必ずしもいい事だとは言えないものもあった。それが、全てではないにしても、現在も続いている状態である。 この視点の高さはどうだ!自分は近視眼的捉え方をしていた事に気づくだけではなく、すっかり・あっさり認めさせられてしまった。バス(ギル)問題のはるか上を飛んでいる。自分の悩みがすっかりチンケなものに見えて来たから困ったもんだ。(そう、チンケに見えても相変わらず深刻な問題である事に変わりはないのだから、これも困ったもんだ) 3人ともアイスコーヒーをお替わりしていた。その間2人はトイレに立ったが、私は立たなかった。席に残っている間に考えた。最終的には行政。法的措置も含む。それまで待つのか?バスを釣りたい者は、待っていてはいけないのではないか?寝て待っても果報は来ないのではないか?自ら「秩序」を志向し、作り上げていく姿勢を持たないと、最悪の結果すら見え隠れする。そう感じるのは私だけだろうか。 四方山話に花が咲く師の帰りの時刻まではまだ間がある。せっかくの機会でもあり、名残も惜しい。土地の美味いものでも食べて欲しくて居酒屋へ入る。しかし、そこはどこの土地にでもあるような居酒屋であった。あちゃぁ、大失敗(^^; 辛うじてゴーヤのスライスと焼酎が南国の面目を保ってくれた。杯を重ねるうちにお互い口が滑らかになる。図々しくも旧年来の友人のように馴れ馴れしく、四方山話に花が咲いた。 「バス(ギル)問題も深刻ですが、アサリ・シジミも大変なんですよ」 師の地元、琵琶湖の様子を聞くと、一時期よりも、自然を回復させるための対策がやっと本格化し始めたらしい。外来魚の駆除もその中の一環である。湖底のヘドロを除去したところでは、二枚貝が増えて来たとの事。同じ採取でも、砂利採取ほど大規模ではなく、まだまだ規模は小さい。しかし、このようなことが大規模に行われれば、貝を産卵に利用する魚にとってはずいぶんと環境改善になる事だろう。葦の移植はなかなかうまくいかないらしい。護岸工事などで遠浅の底を持つ岸が減っており、葦に適した場所が少ない。その少ない場所を探しては移植をしているが、なかなか根づいてくれないとの事。これも回復してくれば、産卵場所や、外敵からの避難場所、巣として、減少種の回復を後押ししてくれる事となるだろう。バス・ギル問題の着地点を探る事と平行して、これら在来種・減少種の復活を後押しする事柄に関しても、同時進行させなければならない。 酔いも手伝い、師に向かい私は言った。 師の帰る時間が近づいて来た。時間までにお土産を購入するらしい。 Special Thanks! 04.28.2002
|
|