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B級コラム上から更新順
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グッバイ♪僕の恋人長く釣りをしてきた釣り人ならば、その釣り人生の中で痛恨のバラシというシーンがきっとあったはずです。生涯、もう二度と出会うことはないだろう、という予感を秘めた大物との遭遇、攻防、挫折です。そんなことは「しょっちゅうさ」というのならば、それは痛恨のバラシではありません。日々の失恋ほどの小さな痛み、明日からまた元気にやれます。 痛恨とは生涯悔いる痛みを胸に残すこと…今夜はそんな笑魚の昔話です。しかしその痛恨も青春の日の恋に似て、いつしかほろ苦くも甘い想い出になっています。「あいつ今頃どうしているのかな…」
本州最南端で釣る「MISAKI」笑魚が始めて磯釣りを経験したのは、和歌山県南端磯釣りのメッカ「潮岬」です。地元に親戚がいるという年長の友人に誘われた気楽な釣りだったのですが、蒼い海と空と潮風の織りなす絵模様に一目で心が惹かれました。白い灯台の下に群れなす岩礁の群をぬって、太平洋の潮が足下でうねる光景は、都会の海や田舎の穏やかな海岸線しか知らない私には新鮮でした。肝心の釣果はというと、ハハハ聞かぬが花という言葉もあります。 ふたたび潮岬へいく「リベンジ」翌年、再び潮岬に行きました。その年も前年と同じ顔ぶれです。今度は私も瀬戸内を皮切りに日本海などで、ちょっとは磯釣りをやってきたので内心期するものがあります。トレーニングの甲斐あってか、釣り荒れたといわれる岬(潮岬のことを関西の磯師はこう呼びます)では、まぁまぁの型と数のグレを手にすることができました。 名礁ドウネ「巨魚」しかし、釣っているときにちょっとしたハプニングがありました。その日はドウネという名磯に上がったのですが、朝から風が強く足下から沖までサラシで真っ白です。そのサラシの中から一匹一匹と釣り上げているうちに、ふっと風がやみました。海面を見ると1〜2ヶ所サラシが消え、左手沖の海面が鏡(潮がわいて透明になること)になっています。 そのガラスのような透明な海水の中に、なんと青黒い巨大な影が二つ浮かんでいるのです。廻りにもグレがいるのが見えますが、せいぜい巨大戦艦に寄り添う駆逐艦といったところです。しばらく呆気にとられていましたが、気を取り直してウキを投げ込みました。もちろん釣れるはずはありません。やがて風が吹き出し、再び海は真っ白になっていきました。 太郎と花子「伝説」その後、磯釣りの本などをひもといているうちに、潮岬のアシカには釣り人の間で伝説になっている「太郎と花子」という2匹の巨グレがいることを知りました。アシカというのは磯の名で、ドウネのすぐ北側に隣接するグレの特級磯です。もちろんこの手の話には尾鰭がつきますし、存在を証明する何物もなくただの言い伝えでしかありません。しかし私自身が脳裏に焼き付けたあの蒼い影は一体何だったのか…。もし私が見たものが「太郎と花子」ならば確かに、伝説を生むに相応しい巨体であったことは間違いありません。やがてそんなことも忘れ、小物釣りにうつつを抜かすうちに月日が過ぎ去りました。 幾ふたたび潮岬へ「エボシ渡礁」それから数年後の冬、何回目かの岬に上がりました。それ以前にも近所の串本大島、出雲崎などに通っていましたが、やはり岬は別格という想いがあります。潮の流れがちょっと違うのですね。瀬戸内の小物釣り師が、こんなところに来ると「あぁ、俺はいま黒潮に竿を出している」と実感できる釣り場なのです。その日は天気晴朗波高し、私は磯割りで釣友4人と「エボシ」に上がりました。※エボシはヨボシともいいます。 エボシは一級磯の「オオクラ」と「オサエツケ」に挟まれた水道筋に位置する細長い磯で、上物師に人気のある磯です。その日は下り潮、水道筋ですから川のように潮が南東へ流れています。幸い私はジャンケンに勝ち絶好の釣り座を占めることができました。南紀の磯釣りは戦国時代さながらで、滅多に思う釣り座など取れないのです。自然、気合いが入ります。
エボシのゲーム1「推理」 「今日はいかんな〜」 エボシのゲーム2「遭遇」 そのうち大物は右へ回り込んで行きました。下手に止めると根ズレでばらしますから、私も釣友を脇に押しのけ追いかけます。気合いで負けて糸を出したら終わりということは過去の教訓で身に染みついていますから、最小限の糸出しで竿をためました。リールシートの上から竿がぎしぎし曲がります。どの位時間が経ったのでしょうか。じわじわ魚が浮いてきました。 エボシのゲーム3「痛恨」 「そろそろタモを〜」と考えた途端、竿さばきが微妙に甘くなったのでしょうか、大グレは渾身の力を込めヒラを打って反転しました。
グッバイ「僕の恋人」ハリスは予想していたチモト(鈎と糸を結ぶところ)ではなく真ん中で切れていました。ガン玉を打っていたところでしょう。つまり糸は最大の結節力を発揮して頑張ってくれたということです。竿、道糸、鈎、すべて含めてタックルの限界でした。むしろあんな大物によくあそこまで耐えてくれたというべきでしょう。不思議に悔しさは沸いてきませんでした。 正体不明の大物に切られたことは、それまでもそれからも度々ありますが、あの素晴らしい引きと姿は別格でした。瀬戸内の小物釣り師が、あんな魚に出会うことはもう二度とないでしょう。あの大グレはドウネで出会った魚達ではなかったと思います。ドウネの魚は大グレ以上の巨グレでした。しかしあのエボシで遭遇した魚も、彼らの弟分くらいの資格はありました。これ以降、憑き物が落ちたようになぜか磯釣りへの情熱が薄れていきました。 ◆ ◆ ◆ 手のひらに乗る小さなグレが大グレになるのに20年かかるといいます。願わくば「あの魚も釣り師達の鈎を逃れて、無事一生を終えてくれたらなぁ」中年を過ぎつつある最近の笑魚は、ふと昔の恋人を思い出すようにあの大グレをことを考えてしまうのです。
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