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マックな日々「死闘編」
初めのうちはまだよかった。マニュアルなぞ意味不明のお経だから、何かあれば代理店に電話攻撃をかけるだけだ〜なにしろ当時は超高額OAマシンだったので、SE(systems engineer)と呼ばれる人種が電話一本でやって来た。しかし管理人はこのSEと呼ばれる人種と、どうも折り合いが悪かった。マック専門のSEが少なかったこともあるが、来る人間来る人間、無茶苦茶なのである。 前回も書いたように、初代の機種は全く使い物にならなかったので、早々に新しい機種を買い換えたのだが、まずこれの導入に手こずる!前回のお茶売り営業マンで懲りていたので、2世代目は正規代理店を通し専門家に来てもらい設置作業を依頼した(もちろん有償)。セッティングを完了したというので、チェックしたら仕様がおかしい。2台のうち片方はグラフィック仕様、片方は編集仕様で注文しておいたのが、逆になっている。「あのなぁ〜〜」仕方がないので事務所でビデオボードやメモリーを差し替えたりしたのだが、なんとも手際が悪い。導入早々ケチが付いたので「専門家がきいてあきれるわ〜金返せ」と内心ふてくされていたのだが、なんと夕方6時を過ぎても換装作業が終わらない。営業マンとSEがひそひそ話をしている。どうも具合が悪いらしい〜。一人が事務所に部品を取りに帰るという。やがて9時を過ぎたがまだダメだ。
ここで私は落とし込み釣りの師匠に電話を入れた。若いが歩くノートンユーティリティといわれている男だ。家へ電話を入れると…一杯飲んでいたらしく、舌が妖しい。
ある日パソコン通信をやりたくなった。業者さんにテキストデータを送るのに便利なときがあるからだ。そこでマック専用のモデムとソフトを取り寄せてもらった。今度はマック専門のベテランSEに来てもらった。機械は高価なアメリカ製で聞いたこともないメーカーだ。マニュアルは英文しかない。う〜ん、これは難しそう。
やがて日が経ち、ぼちぼち金食い虫のマックが仕事で活用できるようになってきた。となると、もっと機能を拡張したい。そこで、当時は目を剥くほど高価だったMOなど周辺機器などを入れるために、ここは間違いありませんという代理店を紹介してもらった。聞けばSEはアメリカ帰りだという。
ということで、その時分はまだ珍しかったイーサネットをつなぐのに来てもらうことにした。ネットワークといっても貧乏事務所だから、PCはスタンドアローン、マック3台とRIP1台をつなぐだけだ。ついでに新しいSONY製モニターも持ってきてもらった。
結論から云うと、朝まで徹夜して結局ネットワークはつながらなかった。後日マニュアルを見ながら、なんと私がつないだのである(T_T) おまけにモニターのコネクターを間違えてくれて、高解像度のはずが低解像度モニターになるというおまけが付いた。 3世代目のマックを買ってから、ある日のこと、いきなりモニターがうまく写らなくなった。仕方がないのでSEに来てもらった。男女二人若いペアである。いろいろ触っていたが・・・
仕方がないので、荒ごみに出すべく、半月ほど事務所の床に転がしておいた。明日はいよいよ荒ごみという日に、重いモニターを持ち上げて玄関に向かったのだが…
DTPの世界ではポストスクリプトフォントという高解像度の業務用フォントを使う。これは最終的にラスタライズ(画像化)して出力するのだが、フォントはパソコンでなくRIPと呼ばれるマシンに搭載する。ある日奮発して4書体と、それを搭載する専用ハードディスクを1台、追加購入した。当時インストーラーは英文ソフトだったし、プロテクトの関係で再インストールはできない。一回勝負だ。当然素人の手に余るから、代理店から専門家に来てもらうことにした。しかし作業を始めてから2時間ぐらいしても、まだ終わらない、うまく行かないようだ。
しかし夕方になっても彼は帰ってこない。パッケージもハードディスクもほったらかしである。「どうなっとるんやろ!」事務所に電話しても不在という。なんとかしろといっても話にならない。このままでは困るので、結局は翌日、知り合いに尻ぬぐいしてもらった。彼とはとうとう連絡が取れずじまいである。大体ここの代理店にはウィルス入りのMOをもらったりして信頼はしていなかった。が…1週間ほどして理由が分かったのである。なんとその日に、その代理店は倒産したのだ。がぁ〜〜ん! マックには純正日本語FEP(日本語変換)として“ことえり”というのが付いている。こいつはいまでももう一つだが、その昔は絶望的に変換能力が低かった。いわゆる学習能力とよばれるものが全くない。ATOKとは比較すると、ATOKが気を悪くするぐらいだ。ある日、ちゃりこが電話でアップルのサポートセンターに電話を入れて、苦情を言っている。“ことえり”を何とかしろと怒っているらしい。
この手の話はまだまだあり、きりがない(^◇^;) こういう悲惨な日々を毎日のように繰り返していると人間不信になるということは、よくお分かりいただけると思う。キーボードなど見たくもなかった人間が「システムエラーの謎」などという本を読み出したのである。インターネットはまだ普及しておらず、ネットでサーチというような訳にいかなかったから結構勉強した。システムファイルはみんな空で覚えてしまったぐらいだ。 インターネットも早くからやった。いまのように1分でつながるということは夢のまた夢だった。OCNがまだない頃で、神戸のNTTでは分かる人間が一人もいなかった。技術的な質問をすると、なんとNTT横浜の技術者に電話を回されたぐらいだ。
と師匠にいわれたのが悔しかったので、連日マニュアルを片手に頑張ってみるが、PPPソフトは全部英文で、しかも難解な通信用語が並ぶ。
モデムを最適化するのにも、通信ソフトをインストールして一行ずつAT言語を打ち込まないといけない。機種ごとにパラメータが違うのだが、マックの通信環境はややこしく資料がない。連日悪戦苦闘でやっとつながったときは、師匠が予言したより1日早い29日目だった。とほほ・・・ PCもDOSのころから少し触っていたのだが、不思議にマックのような笑い話、悲惨な話はない。全くないわけでもないけど、それはまた後日…。オモチャだったWindows3.2には、プロが使えるソフトがなかったから、思い入れもない。始めから期待していない分、そこそこ動いてくれると満足してしまう。マックはQuickTimeがまだなかった頃の、16bitシステムのバージョン6から使っている。ちょっと分かり出すと面白くなって、ハードもシステムもカスタマイズしまくっていたが、Windowsはせいぜいパーティションを切って、すこし減量しているぐらいだ。ソフトが使えればよいと思うだけで、なんら思い入れはない。それでも堅牢な2000を毎日使っていると、いつしかマックを使わなくなってきている。ホームページを毎日触ることが多いので、Windowsの方が検証に便利というせいもある。ちょっと出番の少ないマックが不憫だ。もっと専用回線が安くなったらサーバーを立てたいと思っているが、その時はアメリカ陸軍のようにマックサーバーでやってみようかな。
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